画家「田中みをじ」「田中澪二」のプロフィール



田中みをじ
「略歴」
1899(明治32)年4月25日 父 加藤英華の次男”華太郎”誕生。
1901(明治34)年10月 横浜市中村町7番 田中シケ(加藤英華の妻 田中起久の実家又は親戚)の養子(本名:田中華太郎)となる
1923(大正12)年 関東大震災時館山水産実験場高の島に勤務加藤英華が安否確認で尋ねる(9月28日)
1925(大正14)年11月9日 永眠(享年26歳) 釈常應信士 口伝では跡継ぎが無く墓じまいされている

「タトウ郵便はがき目録」 タトウの番号順(輯=集)
No1  海の唄 No26  漂流の船 No51  南国の夕べ
No2  海の唄 No27  小唄(其一) No52  深山の月
No3  森林 No28  小唄(其二) No53  港
No4   No29  ふな路(藤村詩集) No54  せんどの小唄
No5  夕日 No30  別れ No55  まきば
No6  No31  ゼ・リーパー No56  高楼の月
No7  秋さびし No32  舟唄(其一) No57  孤島
No8  讃美歌 No33  噴水 No58  まど
No9  サンタクロース No34  天然の美(A) No59  夕ばえ
No10  クリスマス No35  天然の美(B) No60  あかつき
No11  ? No36  天然の美(C) No61  秋の夕
No12  ? No37  春たけき頃 No62  秋興(土井晩翠暁鐘)
No13  海上の日の出 No38  新緑の野邊 No63  みのり
No14  喜び迎ふ天地の精   No39  長城(土井晩翠暁鐘)  No64  森の秋
No15  ? No40  漁村の唄 No65  
No16  ? No41  舟唄(其二) No66  たそがれ
No17  ? No42  夏のたより(其一) No67  旅(詩文入)
No18  犬のてがら No43  夏のたより(其二) No68  たび(歌入)
No19  淡雪 No44  夏のたより(其三) No69  漁火(菊池盛太郎氏作)
No20  冬の海 No45  夏のたより(其四) No70  故郷の廃家(犬童球渓氏作)
No21  水仙 No46  海のさち No71  よろこびの夜
No22  長閑 No47  浪の華 No72  ?タトウ文字不鮮明
No23  夜の調べ No48  わだつみ(其一) No73  ?タトウ文字不鮮明
No24  盛春譜 No49  わだつみ(其二) No74  ?タトウ文字不鮮明
No25  踏落花 No50  たゆたふ小舟 No75   
不明  タイトル不明

<このホームページを作ったいきさつ>
2025年2月にエアコンが壊れて工事の邪魔にならない様に整理をしていた時に偶然発見した4枚の絵ハガキが
田中みをじ(澪二)の絵と分かりました。
親戚に確認したら田中みをじは水彩画家加藤英華の2男で華太郎と分かりました。
華太郎は英華の妻起久の実家又はその親戚に養子として育てられました。
その後の事で確認がとれた事は関東大震災時に父の加藤英華が日記に館山水産実験場高の島に行って
会った事が記されています。
我が家に何故4枚の絵があったかというと英華の孫に当たる家内が姉から譲り受けたものでした。
父加藤英華が形見として大事にトランクの中に持っていた物でした。
びっくりする事に田中みをじが亡くなって丁度100年後に出てきたので、何かの縁と思いこのホームページを
作っています。

ホームページを作るにあたり調べると26歳で亡くなるまでに70輯[しゅう=集]にも及ぶ絵はがきを出しています。
又、38集「新緑の野邊」のタトウ(ハガキを入れた袋)には
「お待ち兼ねの{田中みをじ}さんの新版は続々できます。どれもどれもほんと・・・・・に、
気持ちの好い・・・・・絵です」
と書かれていた事に、当時、人気があったものと思いびっくりしました。

恐らく、名前に「二」の字を入れた事や大正ロマン風の画風からみて、竹久夢二に憧れていたと思います。
竹久夢二が絵ハガキを出したのが1910年(明治43年)6月「月刊夢二カード」、田中みをじ11歳の時なので
大きな影響を受けていたと思います。

不幸な事は26歳という若さで養子で跡継ぎも出来なかったので、後世に彼の素晴らしさを伝承する者が
居なかったことです。

このホームページをご覧になった方で、空白部分の絵はがきをお持ちの方があれば、写真で送って頂けると有難いです。

追記
No38,39集が「田中みをじ」の物でダブって発行された絵はがきを見つけました。
それは大正11年に出された38集平和(A)と39集平和(B)です。
その年の3月10日から7月31日まで上野公園で開催された「平和記念東京博覧会」に合わせて発行されたもので、
博覧会内の郵便局から出すと記念印が押されるものです。
何故ダブっているのかは分かりませんが、表の切手を貼る部分には1集から「KANDA TOKYO OTSUBO」
と印刷されていますが、平和(A)(B)のものにはデザインを変えて文字も無い物でした。
又、38集新緑の野邊と39集長城には「KANDA TOKYO OTSUBO」の印刷が無く丸い円の中が空白になっています。
恐らく、印刷所の混乱があったものと思います。



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