京都 伏見 小倉ノ池


この絵は御所蔵者である中村様の御好意により掲載しております
恐らくこの「伏見小倉の池」の絵はかつて存在した「巨椋(おぐら)の池」と考えられます。
記録によると巨椋の池は1933年(昭和8年)〜1941年(昭和16年)かけて国が行なった農地 
への転換干拓事業で当時日本最大の池が埋め立てられました。              
埋め立て前は蓮の名所でヨシが茂り魚貝類の宝庫でもあり、渡り鳥も飛来していたので晩秋 
には狩猟も行われていたようです。                          
大正一四年(1925年)9月25日の日出新聞によると、十一月一日から鴨やシギ、鷭  
(ばん)、くひな(くいな)など、種類ごとに順番に解禁日が設定され、鳥だけでなく鹿や 
猪も狩猟の対象でした。また解禁日には数百人のハンターが訪れたようです。       
明治42年の英華画会の「朝の猟」も同所と思われ、その頃に描かれたか、又は加藤英華は 
大正12年の関東大震災で被災後京都の親戚の家に移り住んだので、昭和初期の頃までに書か 
れた絵と考えられます。                               
京都に小倉の池は右京区嵯峨小倉山田淵山町に現存の池がありますが、小さな池なので狩猟 
が出来る場所ではありません。                            

参照サイト:緑水の径(りょくすいのみち)より
https://ryokusuinomichi.wixsite.com/sansakutecho/blank-11